2006年 03月 25日
美の巨人たち「版画家・長谷川潔」をみる |
毎週土曜日の夜、テレ東系のテレビ北海道で放送している番組「美の巨人たち」。
今夜は大正時代パリに渡って銅版画に一生を捧げた長谷川潔の作品を紹介していた。
長谷川は、小さな頃に拓本(紙と墨を使ってものの表面の文様や文字を浮かび上がらせた
もの)類を目にして絵画に目覚めた彼は洋画を経て1916年に永瀬義郎らと共にわが国で
初めての版画グループ「日本版画倶楽部」を結成し、版画家としての路を歩み始める。
1918年、単身渡仏した彼は国立図書館に通って古版画を研究する中で、当時は忘れ去ら
れていた技法、マニエール・ノワール(黒の技法・英語ではエッチング)の復興を目指す。
そこには日本的な繊細な線、"ビロードの肌"とも称される独特の黒色がそれまでにない
版画の世界を広げる。
彼の黒には、同じ黒でも7種類の黒があると言われ、その色合いを表現するためにひとりの
フランス人の刷り師が鍵を握った。 版画は最終的には刷りによって作品が決まる。
その刷り師が亡くなった時、長谷川も創作を止めた。
第2次世界大戦の中でも日本に戻る事なく、敵国人として辛酸をなめながらも彼は生涯を
フランスで閉じる。
フランスの文化勲章を授与されながらも日本では思ったほど知られていないようだ。
(単に僕が知らなかっただけだろうか.....)
銅版画と言うと中学生時代に美術の授業で作品を作った記憶があるが、ここには全く別な
世界がある。
番組で紹介された作品を含めて、画集を買い求めてこの感動をもう一度味わいたい。
今夜は大正時代パリに渡って銅版画に一生を捧げた長谷川潔の作品を紹介していた。
長谷川は、小さな頃に拓本(紙と墨を使ってものの表面の文様や文字を浮かび上がらせた
もの)類を目にして絵画に目覚めた彼は洋画を経て1916年に永瀬義郎らと共にわが国で
初めての版画グループ「日本版画倶楽部」を結成し、版画家としての路を歩み始める。
1918年、単身渡仏した彼は国立図書館に通って古版画を研究する中で、当時は忘れ去ら
れていた技法、マニエール・ノワール(黒の技法・英語ではエッチング)の復興を目指す。
そこには日本的な繊細な線、"ビロードの肌"とも称される独特の黒色がそれまでにない
版画の世界を広げる。
彼の黒には、同じ黒でも7種類の黒があると言われ、その色合いを表現するためにひとりの
フランス人の刷り師が鍵を握った。 版画は最終的には刷りによって作品が決まる。
その刷り師が亡くなった時、長谷川も創作を止めた。
第2次世界大戦の中でも日本に戻る事なく、敵国人として辛酸をなめながらも彼は生涯を
フランスで閉じる。
フランスの文化勲章を授与されながらも日本では思ったほど知られていないようだ。
(単に僕が知らなかっただけだろうか.....)
銅版画と言うと中学生時代に美術の授業で作品を作った記憶があるが、ここには全く別な
世界がある。
番組で紹介された作品を含めて、画集を買い求めてこの感動をもう一度味わいたい。
by eastend0002 | 2006-03-25 21:00 | テレビ





























